「自分が聞かなくても、誰かが何か聞いてくれるんじゃないかって期待するのはよくないぞ」が名言なので紹介する

全文は次になります。

「お互いの顔色を窺うな! 自分が聞かなくても、誰かが何か聞いてくれるんじゃないかって期待するのはよくないぞ。何か言いたいことがあったら直接言え!

「かがみの孤城(辻村深月)」という本の中に書いている言葉になります。

状況の説明

いじめを受けている中学生の少女が、鏡の中にある孤城に招待され、同年代の少年少女たちと問題を解決する物語。

狼少女はあるルールに合わせて、中学生7人を鏡の中の城に招待した。そしてその理由とルールを説明する。

しかし聞いただけで理解できることは限られている。そのため狼少女は説明後、次のように話した。

「理解したか?」

しかしお互い顔を見合わせるだけで、自分から話そうとはしない7人。

その状況に対して狼少女が話したのが今回の名言となる。

感想と考察

日本人なら子供に限らず、大人でもよくある風景だ。

とにかく最初に発言することに、大きな意味を感じている。それは何だろうか?

最初に発言して、目立つことを避けているのだろうか?
自分が勘違いしている可能性を考えて、質問を避けているのだろうか?
「後から聞けばいい」という楽観から、質問を避けているのだろうか?
根本的に自分が発言してはいけないと考えているのだろうか?

いろいろな理由は考えられるが、自分が理解できないことは、多くの人も理解できない。そのため質問するのが本来は良い。
しかし言い方を変えれば、多くの人が理解出来ないなら「誰かが」質問してくれるという期待があるのも事実だ。この兼ね合いは難しい。

質問して笑われたとしても、それは恥では無いのですけどね。

まとめ

ここでは私の提案を一つだけ紹介する。

多くの人は分からないことの質問なのに、「正しい質問をしないといけない」と考えていないだろうか? そのために質問の幅が狭くなっている。

私はよく、「わざと間違った質問」をすることがある。もちろん適当な質問という意味ではない。ここでいうのは、「誰かが勘違いしているのでは?」と考えている質問だ。

多くの人は正しいことだけを知りたがる。しかし間違っていることを知ることで、方向性を絞り込むことが出来、また勘違いしている人は自分の間違いを知ることが出来る。

これは、笑われたり批判されたりすることが前提の質問です。だから笑われても批判されても当然として受け入れます。それを恥とは思いません。

しかしこの質問をすることにより、自分の勘違いに気づいた人からの評価は上がるでしょう。もちろん評価されるためにするのではなく、プロジェクトを成功させるためですけどね。

とにかく質問は笑われていいのです。それにより結果が正しければいいのですから。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

かがみの孤城

かがみの孤城

posted with amazlet at 18.07.22
辻村 深月
ポプラ社
売り上げランキング: 216

→「学校というところは、そんな正直なことを言ってはいけない場所だった」が名言なので紹介する

スポンサーリンク
wp_336x280R
wp_336x280R
関連記事&スポンサーリンク

関連記事&スポンサーリンク


スポンサーリンク
wp_336x280R