岡山・災害時に行方不明では無いのに実名リストが公表された件を考える

2018年7月17日のTBSの記事で、岡山県の災害で実際には行方不明ではないのに、実名リストが公表された件が問題になっている。

実名リストに載った人の間に戸惑いが広がっている。

元ネタはこちら

→(TBS)【現場から、】「私はここにいるのに」西日本豪雨災害で不明と公表

今回はこの件について考えていく。

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感想と考察

最初に記事に関する感想を書いておく。まったく悪意しか感じない記事であり、マスコミの存在意義を問われてもおかしくないレベルである。

ここからは個別に考えていく。

状況の確認

状況の確認について、TBSの記事より抜粋する。
岡山県では、一時、行方不明者として、43人もの実名のリストが公表されました。ところが、取材を進めると、行方不明となっている人の何人もの方と会うことができたのです。「私はここにいるのになぜ」。戸惑いが広がっています。
今回、岡山県が行方不明者の実名を公表したことで、その人数は43人から3人に減りました。県は、「本当に不明の人を効果的に効率的に捜索できた」と話していますが、住民の間には公表のあり方に疑問の声が出ています。

実名が発表された人について

まず生きていて普通に行動しているのに、「行方不明者リストに実名で載ってほしいか?」と問われたら、迷惑なのは事実である。

しかしリストに載るということは、「誰かにとって不明だった」のも事実である。

ここから問いたいのは、リストに載った人は自分を心配してくれる人に対して、連絡する義務を果たしたのだろうか?
もし連絡しているのに、不明届を出した人が行政に連絡していなければ、届けを出した人の問題である。行政に不手際は無い。

またリストに載った人を「親の次にお世話になった」と言っている人がいるが、その人に問いたい。
「そんなに大切な人に対して、連絡取らなかったのですか?」。不思議ですね。

行政や市民の全てが大変な時、多少の不手際で怒るのは筋違いである。

まとめ

そして問題が無かった人がいるのに対して、少なくとも3人の方がまだ不明の状態になっている。この点は重要では無いだろうか?

今回の作業のおかげで、残り3人に全力を向けることができるという事実は大きい。問題が無かった人はむしろその人の心配をして当然である。

もちろん今回の方法がベストとは考えない。しかしベターな方法であったのは間違いない。もしそれでも批判をするなら、よりレベルの高い提案をする必要がある。それが出来ないなら、この大きな災害時は批判をしてはいけない。

またマスコミの取材のために、救助に当たっている人が対応しないといけない。まだまだ確認や具体的な救出をしている段階で、これは迷惑以外の何物でもない。
もしこの記事を書くタイミングがあるとすれば、最低でも全てが完了して、今後の方針を決める時と考えるのは自分だけだろうか?

最期に改めて、この記事はマスコミの存在意義を問われても不思議ではないレベルの、記事であることは間違いない。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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