JASRACが音楽教室から著作権料を徴収してる件を商売の立場から考えてみる

2018年7月10日の朝日新聞の記事で、日本音楽著作権協会(JASRAC)が音楽教室から著作権料を取ろうとしている件が載っていた。

現在では21業者(36教室)が、支払い契約を申し込んでいるとのこと。

元ネタはこちら

→(朝日)JASRAC会長、音楽を「バナナ」に例え教室批判

今回はこの件について考えていく。

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感想と考察

この問題はずいぶん前からしているが、問題のすり替えが行われているように感じている。

本来の著作権収入は、「商売的な問題」のハズです。ですから音楽をよりよくするために、「著作権料を払って下さい」と訴えていくのが正しい。

それがいつの間にか「精神的な問題」にすり替わっているように感じている。「音楽を利用しているのだから、著作権料を払え」という感じだ。

今まで払っていなかったものに対して、「いきなり払え!」と言うのは、ほとんどヤクザの論法です。自分たちに都合のいいように解釈して、請求しているに過ぎない。

また財政的な苦しさがあるとすれば、本来は音楽を楽しむ人全てに、負担してもらわないといけない。それなのに「音楽教室」にピンポイントで要求してしまった。

これは良い悪い以前に、「稚拙な方法」と言って間違いない。

また記事の中で会長が「バナナ」を例えにして批判しているので、記事より抜粋する。
「会長というより作家、権利者の一人として言うと、世の中に、仕入れが全くない商売ってあるんだろうか」「たたき売りは、がまの油やバナナが仕入れ商品で、口上を述べて売るのは技術。同じことで、教えることは技術、仕入れは音楽や歌と考えれば、仕入れ代を払うのは当たり前だ」

言いたいことは分かる。音楽を商品と考えれば同じである。しかしまず楽譜購入などで、支払いは終わっているはず。
そして絶対的に違う点がある。
それは、バナナは1個は1個の料金しか取れないが、音楽は1曲から無限の収入を得る可能性がある点になる。
またバナナには期限があるが、音楽は100年前の曲でも、今後100年後でも価値が継続する可能性がある。

このように全く性質が異なる商品に対してこの考え方をするのは、30年ぐらい古いタイプのイメージを感じる。

まとめ

そもそも著作権とは何だろうか? またいつ出来たものだろうか?

正直、ネットが普及していなかった時代に作られたとすれば、明らかに古い物である。

そのため一度リセットして、再構築することが好ましい。何より現代的な収入を得るためには、間口を広げることが一番好ましい。

それなのに「音楽教室という入り口」を狭くするなんて、精神的な考え方以前に、商売的におかしいとしか言えない。

収入が減ったから、「取れるところから取る」や「値段を上げる」というのは簡単な方法だが、衰退産業の典型と言って間違いない。

方法は分からないが著作権の考え方を変えれば、桁が一つ違うほど儲けることが可能では無いだろうか?

音楽教室のように払いたくないところがあるのと同じぐらい、より払ってでも利用したいという場所はある。

そういう所から多く取り、それをさらに利用する人に平等に負担してもらうことが正しいのでは無いだろうか?

それに音楽教室から収入を得て、どれぐらいの金額になるのだろうか?

「商売的なセンスとしてのポイントがズレている」と感じているのは、自分だけだろうか?

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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