茅ヶ崎の小学校でイジメを見て見ぬふりしていた先生がいた件について考える

神奈川県茅ヶ崎市立小学校で、2年間不登校の男子児童がいる。

それはイジメによるものだが、担任の女性教諭がイジメを把握しながら見て見ぬふりをして、対応を怠っていた。

以前は「気付けなかった」と言っていたことから、今回の問題となった。

この件について考えていく。

元ネタはこちら

→「担任『いじめ見て見ぬふり』茅ケ崎の小学生不登校」へ

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感想と考察

まず最初に、この先生の行動は考えるまでもなくトンデモナイ。

そして許されることではない。

しかしこの手のニュースを見た時に、いつも違和感を感じる。

「情報が少ない!」

まず女性教諭について考えてみる。

もちろん書いている通り「いじめを見て見ぬふりをした」「注意するのが面倒」だけだった
かもしれない。

実際、「いじめがバレると自分の評価が落ちる」と考えて、スルーしていた可能性はある。

しかしこの女性教諭は何歳だろうか?

若ければ経験不足より、他の教師に相談ぐらいはしている可能性が高い。

その結果、「スルーしたほうがいい」などの提案をされたかもしれない。

ベテランの場合、いままではイジメに対応してきたが、結果が出ないことに疲れてしまい、
今回はスルーした可能性もある。

もちろんそんなことは理由にならないが、何かこの女性教諭に全ての悪を押し付けている感じがしてならない。

また神奈川新聞社の取材により、児童が大声で助けを求めているとある。

それでも女性教諭が助けなかったとあるが、ここに疑問が残る。

「この児童はどこで叫んだのだろう?」

教室で叫んだのだろうか?

それならいくら何でも止めただろう。

もしくは周りの生徒が対応しているはず。

職員室で叫んだのだろうか?

それなら周りの先生も聞いているはず?

その場合、女性教諭だけに責任を押し付けるのは無責任すぎる。

先生が一人で帰っている途中に叫んだのだろうか?

正直これは考えにくい。

この場合、聞いてくれない先生ではなく、聞いてくれる先生に話せばいいだけである。

このことから、大げさにしたいために児童の言葉を取り上げているが、

何かがおかしいと感じる。

そしてここからが最大の問題です。

「一番悪いのは、イジメをした児童です」

なぜこれを最重視しない?

たしかに女性教諭の行動も許しがたい。

それでも悪いのはイジメをした側です。

それが小学2年生であっても、未成年であっても関係ない。

確実に罰を受けるべきです。

もう実名報道するべきです。

加害者の未来など知りません。

被害者の保護の方がよほど大切です。

もちろんこんなことを書くと、多くの人が次のように言う。

「罰を与えても意味がない。もしくは変わらない」

確かに、一面において正しい意見です。

そのため方法が問題になります。

「怒るだけではスルーするでしょう」

「殴っても、一時的なものに過ぎない」

ではどうすればいいか?

「自分が嫌なこと、もしくは恥ずかしいことをさせる」

これがもっとも効果的です。

例えば先程書いた「実名報道」も自分にとって嫌なことです。

ネットが発達した時代、それは一生ついてまわる。

またこのように言う人がいるでしょうか?

「それをすればイジメが無くなるのか?」

もちろん無くなりません。

それなら逆に聴きたい。

「今の方法で良いと思っているのですか?」

「今の方法でイジメは無くなるのですか?」

どちらにしても、結局無くならない。

それなら、「少しでも減らす」ことに主眼を置くしか無い。

まとめ

このようなニュースを見て思うのだが、目的がよく分からない。

ただ事実を伝えているのか?

女性教諭や校長、教育委員会を断罪したいのか?

ただ新聞が売れればいいのか?

なぜこれを指摘しているかと言うと、これによりイジメが無くなるとは思えないから。

人が興味を引くように書いていて、人の気持を煽り立て、何が目的なのだろう?

またこのようなニュースが出ることを、情けなく思う人がいる。

ただこのようなイジメは、昔からいくらでもある。

それが取り上げられるのは、多くの人がイジメに向き合っている正しい方向である。

実際にイジメがある以上、報道はされないより報道されるのが正しい。

もちろん根本的にイジメが無くなるのが、いいのは間違いない。

最後に改めて書くが、女性教諭を断罪するのと同じように、イジメ側も断罪して下さい。

それが平等と言うものです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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