岡山・中学生が車で事故をした問題から常習性の怖さを考える

2018年7月1日午前5時ごろ、岡山市北区の国道で中学生が運転する車が、中央分離帯に衝突する事故が発生した。

乗車していた中学生男女5人は、定期的に車を運転していたとみられている。

元ネタはこちら

→(TBS)中学生運転の5人死傷事故、SNSで知り合いに?

今回はこの件より、常習性の怖さを考えていく。

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感想と考察

事件の概要については、過去に記事を書いていますので参考にしてください。

→岡山・中学生が車を運転して事故を起こした報道について考える

今回の事故を見た時から、二つの点を気にしていました。
一つは、「この中学生が運転したのは初めてなのか?」という点。
もう一つは、「これは事故なのか、それとも事件?」という点になる。

まず一つ目の件だが、今回のTBSの記事より、何度か運転していることが分かりました。

次に二つ目の件だが、TBSの記事より車内から酒の缶が見つかっており、「事件」と言って間違いないだろう。
まったく単独事故だったのだけが、唯一の救いとなる。

ここでタイトルにも書いた「常習性の怖さ」についてだが、この中学生達も最初は軽い気持ちの好奇心程度だったと考える。
しかし一度上手くいくと、その便利さに気づいてしまう。そして一度がこれからも続くと考えてしまう。

これは運転手だけに限らない。同乗者も同じ気持ちになる。最終的には、「車で移動するのが当然」的な考えになってしまったのだろう。

そして今回のような結果が出るまで、続けてしまうことになる...

まとめ

何もこれは中学生等の子供に限らない。

飲酒運転が無くならないのも、「前回は大丈夫だった」という意味のない根拠が大きな理由になることが多い。

ギャンブルにハマってしまう人も、「前回は負けが続いた後に大勝した」という偶然を必然と考えてしまうことに原因が有る。

主婦の万引きなども、最初は軽い気分転換だったのに、それが当たり前の気分になることが原因になっている。

結局何事も、最初の一回目をいかに防ぐかが大切になる。

その点を考えると、今回の問題の一つに「親の黙認」がある。

普通に考えれば、子供が車を使えば親は分かるもの。鍵が出しっぱなしとしても、車の状態を見れば自分以外の誰かが運転したことは分かる。

親が気づいた時に、きちんと対応出来ていなかったのだろう。その点が大問題だ。

また今回の場合、友人とは言え「SNS」で知り合った友だちになる。そのような友達は表面的な友だちになり、「注意をしない」と言うより「注意は出来ない」となる。

結論として「起こるべくして起きた事故」であり、だからこそ「事件」と言って間違いない。

今回のような事件や事故が起きないことを期待している。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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