引きこもりの人も毎日闘っている件を考える

現代社会において、登校拒否や引きこもりの人は多い。

理由はさまざまだが、多くの人は学校に行かないのではなく「行けない」

家を出ないのではなく「出れない」

この件について、ある本を読んだ時に気になった。

辻村深月さんの「かがみの孤城」である。

かがみの孤城

かがみの孤城

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辻村 深月
ポプラ社
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本の中にはこのように書いている。

「だって、こころちゃんは毎日、闘ってるでしょう?」

この件について、これから考えていく。

この言葉に関する状況

中学校1年生の安西こころは、学校でのいじめにより不登校になっていた。

学校に行けないこころに対して、母親はある提案をする。

近くに登校拒否など、学校に行くのが困難な児童向けのフリースクールがあることを、こころに伝える。

行く意思はあるのだが、どうしてもフリースクールにも行くことが出来ないこころ。

そんな時、フリースクールの喜多嶋先生が、こころを訪ねて来る。

無理にスクールに来させようとはせず、こころの話に耳を傾ける喜多嶋先生。

何度かの訪問の後、こころも徐々にだが心を開いていく。

そんなある日、こころの学校の担任が自宅訪問してきた。

担任は表面的なことばかりを話し、こころが置かれている現実を理解してくれない。

そんなことなどが重なり、心のバランスが取れなくなるこころ。

そんな時に喜多嶋先生が話したのが、先程の言葉になる。

感想と考察

いじめなど、いろいろな理由で学校に行けなくなる児童は多い。

そしてその結果、引きこもりになっていく。

当然、家族を含む周りは対応に困っていく。

しかし何より困っているのは、本人自身である。

学校に行かなくていいなんて、本人も思っていない。

このまま外に出なくてもいいなんて、本人すら思っていない。

「ではイジメと闘うか?」となると、そんな勇気は持てない。

何より、闘っても解決しない。

勇気を出しても、1対1ですら勝つことは困難だろう。

まして複数いる場合、不可能となる。

しかし闘わなくていいなんて、本人も思っていない。

しかし実際に闘えるのは、自分の脳内だけ。

頭のなかでは常に闘っている。

「学校に行かないといけない」

「引きこもっていてはいけない」

「いじめに立ち向かわないといけない」

たとえ実際に出来ないとしても、頭の中では常に闘っている。

そして、この闘いは厄介だ。

この「脳内での闘い」に終わりはない。

朝起きた時から始まり、夜寝るときまで続く。

ひどくなると、寝ている間も夢で闘っているだろうか?

このように無限の闘いを繰り広げることになる。

それでも周りから見ると、ただ家や部屋に篭っているだけ。

闘いなど、ただのイライラにしか見えないだろう。

結果、親や先生は学校に行くことや家を出ることを提案する。

しかし出来ない現実がある。

その内、諦めて無視し始める。

そうすると、引きこもり側も無視に絶えきれなくなる。

そうすると自分のことを聞いてくれる、もしくは自分のことを許してくれる弱い立場の親などに直接的な迷惑を掛けていく。

そして最終的には、暴力という形を取ることもある。

脳内の闘いを、理解してもらえなかったことによる反動になる。

もちろん、こんなことは許されない。

しかし、この流れが止められないのも現実である...

まとめ

いろいろ書いてきたが、一つだけ覚えていてほしいことがある。

「引きこもりで一番ツライのは本人である」

この現実だけは周りが理解して欲しい。

私は明確なイジメに合ったことはない。

せいぜい、嫌がらせぐらいだ。

完璧に引きこもったこともない。

引きこもりたい心を持ったことはあるが、逃げ道を何とか見つけてきた。

ただ、気持ちだけは非常に分かる。

そんな時、プラスの考えはまったく受け付けない。

言葉は理解出来るけど、受け付けるわけにはいかない状態になる。

そのため大切なことは3つだけ。

「本人が一番ツライこと、闘っていることを理解してあげること」

「逃げ道を用意してあげること」

「そして、絶対に強制しないこと」

残念ながら周りはこの状態を続け、時間による解決を待つしか出来ない。

少し甘すぎる、と言われるかもしれない。

しかし、実際に弱いのだから仕方がない。

弱いものを強くする、というのは強者の理屈。

弱いものを弱いまま解決するしかないのが、弱者の理屈になる。

「周りが理解しろ!」とは言わない。

「出来れば理解して欲しい」だけの願いです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。