東京・5歳女児がノートに「おねがいゆるして」両親による虐待の事件について考える

2018年3月、東京都目黒区で両親から虐待を受けていた5歳女児が亡くなった。

女児は虐待する両親に対して、ノートに「おねがいゆるして」と書いていた。

元ネタはこちら

→(朝日)死亡の5歳、ノートに「おねがいゆるして」両親虐待容疑

今回はこの件における報道について考えていく。

ここに書いていくのは独自の調査をしているのではなく、あくまで記事から考えたことや、感じたことになる。

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感想と考察

本当に痛ましい事件です。5歳の女の子がこんなことを書くほど追い詰められていたことに、怒りを覚えます。

直接的に虐待をした両親に怒りを覚えるのはもちろんですが、対応した関係者に対しても「何とか出来なかったのか?」と言う疑問も感じます。

ただ児童虐待というのが、それほど難しい問題であることも認識させられます。

その点について個別に考えていきます。

児童相談所

今回の出来事おいて口コミなどを見ていますと、児童相談所の対応に怒りを感じている人が多くいます。

認識していながら助けれなかった事実だけ見ると、非難されても当たり前と感じます。

ただ「自分が担当者なら助けられたか?」と問われると、自信はありません。

まず児童相談所には何の権力もないし、また直接的な力もありません。

その人達が虐待をするような親に対して、何が出来るでしょうか?

正直、児童相談所の人に出来ることは、相手に対する質問とお願いぐらいではないか?

それを断られたら、何も出来ないのが本音だろう。

「では強制的な権限を与えては」となるが、直接的な腕力を持っていない職員では、返って二次被害の元になる。

そこから考えると、児童相談所が出来るのは「相談しにきた人の対応」だけでは?

結論として、「児童相談所では、内に隠れている虐待は防げない」

警察

今回の場合は完全な虐待のため、警察の出番が正しい。

しかし記事を見ると、2回も書類送検しているのに、2回とも不起訴になっている。

ここから警察による「虐待」の対応が、いかに難しいかが分かる。

警察には権力も、それを使うだけの腕力もあるが、そのため行動に制限がかかってしまう。

明確な証拠が無ければ、家の中に入ることはできないだろう。

「子供のためならいいのでは?」という考え方も出来るが、そんな簡単なものではない。

そのための法改正だが、具体的にどうすれば良いか分からない。

またそれが拡大解釈されて、警察が室内に平気で入ってくるようになる可能性もある。

「子供を守る」ことは大切だが、感情論だけでは決められないのも事実です。

保護施設

今回とは異なるが、保護した後に施設に入れるのが正しいのだろうか?

それは大人になるまで、ずっと入っている場所なのか?

両親の元に帰るという選択はあるのだろうか?

結局、理想的には両親の元で暮らすのが好ましい。

そのため両親が改心したフリをすれば、どうしても帰ってもらうしかない。

また逆に「返さないのが正しい」のだろうか?

この点はその時々で変わるため、限りなく判断は難しい。

虐待する親の元にいるのは問題がだが、施設にいることも問題になる。

何より世間は施設にいる人を、差別的な目で見るという現実も待っている...

まとめ

改めて痛ましい事件ですが、対応できないぐらい多数起きているのも事実です。

警察は力が強すぎて、手を出すのが難しい。

児童相談所は力が無さすぎて、言葉以上のことは何も出来ない。

そうなるとやっぱり必要なのは、近所や地域の見守りになるのではないだろうか?

正直、行政に頼っているだけでは、何も解決しません。

また非難や批判をしているだけでも、何も変わりません。

行政や警察の力を借りるのは当然だが、やっぱり解決に必要なのは近くにいる人の力ではないだろうか?

付き合いの希薄な時代に難しいのは承知しているが、そうなることを期待している。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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