熊本で高3女子がいじめで自殺した事件の報道について考える

2018年5月17日午後、熊本県立高校3年の女子生徒が自宅で亡くなっているのが、家族の通報により判明した。

学校でのいじめを苦にしての、自殺の可能性が考えられている。

元ネタはこちら

→(時事)高3女子いじめで自殺か=家族側、学校に調査求める―熊本

今回はこの件における報道について考えていく。

ここに書いていくのは独自の調査をしているのではなく、あくまで記事から考えたことや、感じたことになる。

感想と考察

またまた痛ましい出来事が起こりました。

何度もいじめの報道がされていながら、一向に減る気配を見せません。

また現状では「いじめの可能性」と書かれていますが、可能性でしょうか?

次にこの記事を見てください。

→(NHK)高3女子生徒自殺 いじめを調査

先程のNHKの記事により、遺書が有ることが分かっています。

またそこには、「よー学校これるね」とか「死ねばいい」と言われていたことが、書かれています。

ここから本人にとっては、いじめを苦にした自殺と考えて間違いありません。

またこれから調査ですが、本当に学校は知らなかったのでしょうか?

これについては明確に分かりませんが、雰囲気程度は分かっていたと考えるほうが普通です。

それなら、「なぜ放置していたのか?」

理由は簡単、「いじめを明らかにし、解決したとしても何も無いからです」

むしろいじめが合ったこと自体が、マイナスとして評価されるでしょうか?

そんなものに進んで首を突っ込みたがる先生など、期待するほうが間違っています。

「それならどうするか?」

個人的に「いじめは無くならない!」と考えています。

そのため「いじめがあること自体は仕方がない」、と考え方を変えなければいけない。

いじめで問題なのは、いじめが有ることではない。

もちろんそれも問題だが、それ以上に「放置すること」が問題と考える。

そのため学校や先生にマイナスを付けるとすれば、いじめが有ることではなく、いじめを放置したことに対してでなければいけない。

そして「もし解決できればプラス評価する」ことが正しいのでは?

例えば、泥棒が多くなったとしても、警察を責める人は少ないと考える。

警察を責めるとすれば、「泥棒を捕まえることが出来ないこと」

これと同じように、学校のいじめを明らかにすることはプラスとする方向で、学校や世間が変わることを期待する。

まとめ

またこのような自殺が起こるたびに、「なぜ逃げなかったのか?」と考えてしまう。

学校だけが全てではないのに、「なぜそれを教える人がいなかったのか?」とも考えてしまう。

確かにその考え方は正しいし、現実的でもある。

しかし本来追放すべきは、「いじめた方」になる。

現状のいじめ対策は、「いじめた方を注意して止めさせるだけ」

せいぜい謝らせて終わりだが、「これでいいのだろうか?」

誤って終わりなら、これからも平気でいじめをする人は出てくるだろう。

極端に言えば、「いじめをした人は全員無条件で退学」でもいいのでは?

もちろん、これを悪用することも考えられるので、慎重に行わないといけない。

しかしこれぐらいしないと、いじめは無くならない。

生徒の良心に頼るのは限界があるため、何らかの「不利益」を考えさせないと行けない。

もちろんこれで、いじめが無くなるとは考えない。

しかし少しでも減らす方向を考えていくことが大切になる。

今後、今回のような悲劇が起きないことを期待しています。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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