大学授業料「出世払い制度」が間違いな件について考える

2018年5月17日、自民党は大学の授業料について、「出世払い」制度の導入を盛り込んだ提言案をまとめた。

在学中は国が立て替え、そして卒業後に所得に応じて返済するシステムとなる。

元ネタはこちら

→大学授業料「出世払い」導入を=自民が提言案

今回はこの件について考えていく。

まとめ

最初に個人的な結論を書いておく。

「この制度に反対です!!」

理由は単純。

授業料も払えない人に対して、「借金をさせる」ことに変わりは無いからです。

そしてこれなら現在もある、「奨学金」と何が違うのでしょうか?

言葉は悪いが、奨学金制度が問題になっているので、名称を変えたに過ぎない。

ここでよく議論の対象となるのが、「貧乏人は学問をする権利がないのか?」という点です。

この発言自体は立派に聞こえるのですが、個人的にはすり替えだと考えている。

私は次のように考えている。

「学問をする権利は平等であるべきだが、学問をする機会は公平でなければいけない」

これだけでは分かりにくいと思いますので、ハッキリと表現します。

「授業料を払えないけど優秀な人に対しては、授業料を全額支給する」

「授業を払えなく、そして優秀でも無い人に対しては、奨学金すら不要である」

優秀な人に対しては日本の未来を考えても、学問してもらえばいいのです。

逆に対して価値のない大学にしか行けないとしたら、借金を背負わせるだけです。

そんな人に対しては、「大学進学とは違う道」を選ばせることが好ましい。

この考え方は、「上下の差」ではない。

「個性の差」と考えている。

私は大学に行っていないため、大学で何が学べるかはハッキリ知らない。

しかし「大学を出たから優秀になった」という人に、私は出会ったことがない。

知っているのは、「優秀な大学を出た人は、初めから優秀だった」ということ。

そのため大学とは、その人のランクを表しているに過ぎないと考えている。

極論だがレベルの低い大学だと、「むしろマイナスでは?」とすら感じる。

それなら借金までして行く必要はなく、別の道を探すことが未来につながると考える。

まとめ

最近は「大学に行くのが当たり前」的な感覚があるが、決してそうではない。

大学で学びたいことがある人だけが、大学に行くべきだと考えている。

また大企業を目指さなければ、それほど大学とは必要なのだろうか?

例えば、企業も「高卒枠」というのを積極的に取り入れるのも面白い。

大学に行けば、お金を払わなければ行けない。

そう考えれば、高卒の人を「職業訓練」というスタイルで、少し安い給料で雇うというのもあるのでは無いだろうか?

そして大卒と同じ年齢になった時、大卒の人の初任給と同じか超えるようにする。

ただこの考え方に問題があるのも理解している。

「安く雇う」というシステムが「平等ではない」と訴える人が出ると考える。

またこのシステムを企業側が悪用して、若者を酷使する可能性も否定できない。

そのためこのシステムを導入する場合、企業側にモラルを要求する必要がある。

しかし日本の企業にモラルが少ないのは、ブラック企業の記事を見るけるたびに感じること。

そうなると高卒の社員側の考え方と、社会の目線が必要になる。

まず社員としては訓練期間なのだから、ブラックと判断したらすぐに辞めること。

また社会は辞める社員を悪く見るのではなく、辞めさせた企業を批判する目線を持つこと。

自分でも理想論を書いていると感じるが、このようになることを期待している。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

スポンサーリンク
wp_336x280R
wp_336x280R
関連記事&スポンサーリンク

関連記事&スポンサーリンク