「京都で車の屋根に乗っていた男性が死亡した」事故における周りの対応について考えてみる

2018年5月6日、京都府城陽市水主の木津川右岸で、車が道路から河川敷に転落。

その時、車の屋根に乗っていた男性が死亡するという事故が発生した。

元ネタはこちら

→車が河川敷に転落、屋根に乗っていた男性死亡 京都

今回はこの件について考えていく。

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感想と考察

まず今回の事故は痛ましいが、同情や非難をする気にもならない。

「自分の危険な行動に対して、罰を受けただけ」

身内でもない立場としては、何も言うことは無い。

しかしそれは実際に運転をしていた人と、上に乗っていた二人だけを対象としている。

今回本題にしたいのは、それ以外のメンバーについて。

まず車の中に乗っていた人たちだが、どのような気持ちだったのだろうか?

「当然同じようにふざけていた!」と考えるのは簡単。

しかしあなたが仲良し6人組として、この行動に誘われたら断れるだろうか?

「お前も乗れよ!」と言われた時、行動を止めることが出来るだろうか?

また、「乗らない」という選択すら出来るだろうか?

これが意外と難しい。

行動を止めたり、また乗らなかったりすると、「面白くない奴!」的なレッテルを貼られることがある。

また「臆病」と言われることもあるだろうか?

本当の親友ではなく仲良しグループは、表面だけでつながっているに過ぎない...

次に今回は、約20人でのバーベキューと記事に書いている。

そこからこの行動を見ていた人が、少なからずいるだろう。

その中には当然、「この行動を止めたい」と考えた人がいたはず。

もしかしたら実際に、声に出した人もいるかもしれない。

しかし残念ながら、止める声というのは小さいことが多い。

大きい声で、また本気で止めると先程と同じように「面白みの無い奴!」扱いになる。

もしくは「真面目だねー!」とか、嫌味を言われたりする。

個人的には普通のことと考えているのだが、調子に乗ったことが面白いと考えている人たちには、理解してもらえない...

まとめ

今回のことで何の罪が重いかと言えば、同じバーベキューに参加している人達に「トラウマ」的な記憶を植え付けたことだ。

注意した人がいたとすれば、「なぜもっと本気で止めなかったのか」と自分を責めるかもしれない。

注意したくても出来なかった人がいたとすれば、「なぜ注意出来なかったのか」という記憶を、いつまでも引きずってしまう。

またその行動に対して何も思わなかった人に対しても、これから集る機会を奪われたという点に関しては、被害を受けている。

結局一時的なふざけが、一生付きまとうほどの事故になってしまう。

また運転手が酒を飲んでいたら、「事件」と言ってもいいような気がする。

このようなふざけた行動を「勇気」と勘違いする風潮が続く限り、同じような事故や事件は無くなることはないのだろう...

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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