「正しいことが正しくないことも有る」件について考える

「正しいことは正しいのだろうか?」

これを考えるキッカケになったのは、河野裕さんの「いなくなれ、群青」に書かれている言葉からになる。

「でも君はちょっと極端なんだ。正しいことの正しさを信じ過ぎている。
他の人はもっと、正しいことがそれほど正しくないんじゃないかと疑っている」

主人公の男子高校生・七草が、幼馴染の真辺由宇に話した言葉だ。

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河野 裕
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今回はこの件について考えていく。

正しいこととは?

そもそもこの言葉のキッカケになったのは、真辺由宇の性格からになる。

その性格とは、「正論を話し、そして行動する」

正しいことを正しいとして考える。

その正しさを基準にして行動する。

もちろん、自分が信じた正しいこと以外は受け付けない。

そしてこういう人は、このように聞いてくる。

「何か間違えていますか?」

聞かれた方の多くは、次のように考える。

「間違えてはいないし正しいけど、それはちょっと...」

一体、正しさとは何だろうか?

正しさと正解について

ここでは日本語としての正確さではなく、個人的な感覚として書いていく。

正解とは数学的な響きがある。

答えが一つしか無く、感情的な物は入らない。

次に正しさとは、国語的な響きがある。

答えが複数あり、感情的な物が多く入ってくる。

そこから考えると、正解は誰もが納得する。

正しさとは個人が正しいと考えているだけで、相手も正しいと考えているとは限らない。

そして自分が正しいと考えていることを、相手が否定することが多いため、問題が発生する。

まとめ

これまでの話より、「正論」と呼ばれるものは、その人にとっての正しさに過ぎない。

だから本来、自分の「正しさは正しくないのでは?」と多くの人が考える。

しかしこの当たり前のことが理解できていないと、「正しいのになぜ?」と考えてしまう。

正論が相手を怒らせることが多いのは、このためになる。

しかし不思議なもので、知らないほうが強く出れるものだ。

「自分が正しいのだから、相手は自分の意見を聞くべきだ!」と、完全な上から目線になる。

だからより相手の反発を買う。

しかしこれを納得してもらうことは難しい。

なぜなら、自分が正しいと考えているから。

まったくもって、厄介です...

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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