都会と地方の地域による情報格差について考える

何気にネットを巡回していると、地方に住んでいる人の実態を訴えている記事が見つかった。

都会と地方の貧富の差ではなく、情報量の差について書かれているものだった。

元ネタはこちら

→「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

今回はこの件を考えていく。

感想と考察

まず私自身が端の方ですが大阪市内に生まれたため、地方に住んでいる人の本音は
分からないのが現状です。

そのため実情を示してくれたこの記事は、非常に有益なものでした。

実質的な貧富の差ではなく、それ以前の情報の格差という考え方は、多くの人にとって
「盲点では?」と考えます。

そしてそれに「気づきもしない」というのは、実体験でないと分からないことです。

自分の感覚では「選択するか、しないか?」であったものが、「選択することを知らない」
という現状は、少し驚きすら感じます。

ただ少し救いがあるとすれば、20年前と今では状況が違うことです。

記事の中にネットに対するコメントがありますが、その感覚は間違いなく違うはず。

情報は取る気になれば誰でも取れますので、少なくとも「知らない」という現状は、地域差
ではなく個人差と考えます。

また親の感覚も大切ですが、これも大きく変わってくるでしょう。

未だにネットの使い方を知らない親はいます。

しかしこれから親になる人は、知らない人のほうが少ないはず。

そのため、「まず明るい未来の可能性」についても考えることは可能になる。

ここで一度、地域格差の話から外れますが、日本は人口減少による人手不足がよく
言われます。

しかし一方では、「仕事がない」と言う話題もよく聞きます。

一体、どちらなのでしょうか?

個人的には、「どちらも正しい」と考えています。

必要な所に人はいなく、必要で無い所に人がいる現状と考えます。

昔の映像では地方の若者が都会に出て来て、「金のたまご」と呼ばれていました。

現在においては聞かなくなりました。

もう一度、人の活潑な流動を推進する必要があります。

昔と異なり、移動手段は効率化されました。

情報のやり取りもネット環境の発達から簡単に、そして安いコストで行なえます。

「もう都会によるメリットは少ないのです」

そこから現在の大企業や、これから大企業になる会社は考え方を変えなければいけない。

同じ場所に多数いるメリットは、現在ではかなり低い。

また社会が多様化している現代に置いて、学歴で採用することのメリットは低くなっている。

そこから本気で企業は、地方の人材の発掘と教育を行うべきではないか?

一人の優秀な社員は、100人の平均的な社員では考えられない結果を残します。

その一人を探す「ドラフト」のようなシステムが、発達しても全然おかしくない。

むしろ積極的にするべきだ。

また逆の発想で、地域まるごと抱えるという方法もある。

イメージとしては、「城下町スタイル」とでも言おうか?

そこの教育まで担うぐらいの企業が出てきても、良いのではないか?

もしその場所が好ましい教育を行えば、他の地域から人が集るだろう。

順調に進んだ時の相乗効果は計り知れない。

まとめ

現代において、「都会と地方という考え方は古くなるのでは?」と予測している。

またその概念にとらわれてもいけない。

確かに都会には、いろいろな物がそろっている。

人も多いので、選択肢が多いのも事実だ。

しかし地方には、現在では少ないことによる「自由度」が残っている。

言い方を変えれば、「発展の余地」が残っている。

そしてそれぞれの地域を、有機的に結ぶようなシステムと考え方が生まれれば、さらなる
飛躍が期待できるのは言うまでもない。

またこの考えは、日本国内だけではもったいない。

世界中の場所に飛び地を持つことが出来れば、どれほどすごいことになるだろうか?

地域格差や過疎の問題ばかりがクローズアップされるが、考えれば可能性などいくら
でもある。

それは今日より明日、明日より明後日の方が高くなる。

少なくとも私は、そのように期待している。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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