「事実?そんなものに何の意味がある?」という怖い現実について

誰もが事実を知りたいと考える。

そしてその事実より、正しいことを考える。

しかし人が求めているのは、本当に「事実」だろうか?

これを考えるキッカケになったのは、中村文則さんの「R帝国」という本を読んだからだ。

全文は次になる。

「”事実かどうかわからないんじゃないか”という書き込みを見つけ、驚く。こんなことを書き込む人間が?
事実? そんなものに何の意味がある? こいつは何を言ってるんだ?」

今回はこの件について考えてみる。

R帝国

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中村 文則
中央公論新社
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感想と考察

ある出来事の犯人が見つかったことに対して、書き込みをしている第三者が考えたこと。

その人物が犯人かどうかを問題にするのではなく、その人物が犯人であったほうが都合が良いという観点から、今回の考え方になっている。

例えば、芸能人の不倫が報道されたとする。

世間ではどう考えるだろうか?

正直、実際に不倫したかはどちらでもいい。

不倫ネタで盛り上がることを目的にしないか?

不倫してる、していないでワイワイガヤガヤすることを楽しんでいないか?

その結果、不倫していなくても謝罪など必要ない。

楽しんだおもちゃを忘れるだけで十分になる。

事件の容疑者についても同じこと。

その人物を攻撃することを楽しんでいる場合が多い。

その行動は、「善意という皮を被った優越感を得る行為」となる。

このように事実かどうかなど、世間では興味がない。

自分にとっての真実であれば十分となる。

まとめ

法治国家である日本では、確定するまでは無罪である。

そのため当事者でなければ、容疑者について確定的なことや批判的なことはしてはいけない。

しかし残念ながら、疑わしきは罰するのが情報化社会。

「疑われる」ということがすでに罪であり、格好のおもちゃとなる。

この苦しさはおそらく容疑者本人しか分からない。

もちろん事実なら、言われても仕方がない。

しかし事実でなければ、非難するのは犯罪に等しい。

この流れが変わることは無いだろう。

しかしもう少し可能性の幅を広げて、確定的な非難は避ける社会を希望している。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

→「半径5メートルの幸福」しか人は求めていない件について

→中村文則インデックス

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