事実は変えれないけど真実は変えることが出来る件について

「事実は変えれないけど真実は変えることが出来る」

最近これについて、よく考える。

人によっては事実と真実は同じものと考えてしまうが、全くの別物。

まず言葉の意味を調べてみる。

「事実」とは、実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。

「真実」とは、うそ偽りのないこと。本当のこと。

このようになっており、一見、「実際に起こったこと」と「本当のこと」は同じように感じてしまう。

この点は言葉だけでは分かりにくいので、具体例を考えてみる。

具体例1

「AがBを殴った」とする噂が聞こえてきた。

そしてそれは事実と判明する。

それを聞いた人は、「Aは許せない」とか「Aはとんでもない」と考えるだろう。

その考え方は真実として間違いではない。

しかし次に別の情報が入ってきた。

「実はBが先にAを殴っており、身を守るためにしかたなくAはBを殴って逃げた」

これも事実と判明する。

その結果それを聞いた人は、「本当はBが加害者であり、Aは被害者だ」としてAをかばうことになる。

それも真実として正しい。

ここで注意したいのは、「AがBを殴った」という事実は変わっていないのに、別の情報が入ることにより真実が変わってしまったことだ。

ここから何が分かるかと言えば、「ウソを付くこと無く、真実は変えることが出来る」点になる。

具体例2

「A君がテストで0点を取った」とする。

これは事実である。

そして人は、「A君は頭が悪い」もしくは「勉強を全くしなかった」と考える。

これは真実としては間違っていない。

しかし次に別の情報が入ってきた。

「A君は不良グループに脅されていて、しかたなく0点を取ったらしい」

その結果、「A君は頭が悪い訳でも、勉強しなかった訳でもない」

「悪いのは全て不良グループで、対策を立てないといけない」

このように考えるのも真実として正しいことになる。

今回も情報の一部分を持って真実を知ろうとした結果、その人にとっての真実が変わってしまったことになる。

そして繰り返しになるが、「A君がテストで0点を取った」という事実は変わっていない。

具体例3

「電車で若者が年配者に席を譲らなかった」とする。

これは事実である。

そして人は、「若者は思いやりがない」と考える。

これは真実としては間違っていない。

しかし次に別の情報が入ってきた。

「最初若者は年配者に気づかなかったが、気づいた後はすぐに席を譲った」

この情報が入ってきたら、若者は「仕方がかなった」もしくは「気づいた時に変わったのだから偉い」と、むしろ高評価となる。

これも真実としては正しい。

そして後日、この事を本人たちが誰かに話すとどうなるだろうか?

若者が話せば、「気づいた後に変わったけど、その時は少しあせったよ」という感じで、善意が含まれる笑い話になる。

年配者が話せば、「若者はこちらに気づかないフリをしていたが、目が合ったので仕方なく席を譲った」という感じで、悪意のある表現になってもおかしくない。

どちらも本人の本心だとしたら、真実としては正しいことになる。

全てを知った後でも、誰の視点でどのポイントに焦点を当てるかによって、聞き手が感じるイメージは全く変わってしまう。

しかも事実は同じであり、真実も正しいのにである。

まとめ

改めて考えると人が考える真実とは複数あり、決して一つではない。

同じ人でも変わることがあるし、別の人なら尚更である。

また悪意を持って噂を流す場合、ウソをつかずに印象を変えることが出来るをことを知らないと行けない。

ニュースなどはその点に注意して聞く必要がある。

極端に言えば、善意すら悪意で伝えることが出来る。

このように考えると、人を非難するという行動がいかに危険かということが分かる。

言っている方は善意でしているのに、悪意に加担している可能性もあるからだ。

その後に新しい情報が入り、その非難が間違っていることを謝罪しても、その時には相手の状況が元に戻るとは限らない。

もしくは精神的にダメージを受けてしまい、復帰できない可能性も高い。

悪いことに対して非難することがダメとは言わない。

しかし全体を見ることなく、誰かが言っていることを鵜呑みにし、人を非難することだけは避けたいものだ。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。