怒ってもいいけど、責めてはいけない!

「怒ってもいいけど、責めてはいけない!」

最近このように考えている。

この考えに少し戸惑うでしょうか?

一般的には「叱ってもいいが、怒ってはいけない」と言われている。

しかし怒ることはダメなのだろうか?

その点について考えてみる。

怒ってもいい?

もし「怒ることはいいことですか?」と聞かれたら、迷わずダメと答えます。

「それでは矛盾しているのでは?」と考えたかもしれませんが、実は矛盾していない。

怒るにも例外があることを伝えたいのです。

例えば、ガミガミ怒る母親がいたとする。

それに対して子供は、いつものこととして聞き流す。

耳に蓋をして、「あー、聞こえない!」とでも言うでしょうか。

それに対して母親は「もー!」とか言ってプンプンしていたら、むしろ幸せな家族の風景だ。

次に会社で考えてみる。

声も大きく、またすぐ怒る上司がいたとする。

しかし部下も怒られ慣れているので、その場だけおとなしくなり、その後はすぐケロッとして仕事に戻っている。

しかしその上司は部下にも怒るが、部下を守るために相手先にも怒るような人とする。

これってけっこう、良い上司じゃ無いだろうか?

このように考えていくと怒ること自体が問題ではなく、怒り方のルールさえ守れば怒ること自体は悪くないと考えている。

私が考える怒り方のルールは次になる。

心の底から怒っているわけでは無いことを、暗に含めている。

怒っても大丈夫な人だけ怒る。

怒ったら落ち込むような人は怒らない。

怒ったことを引きずらない。

怒った後は必要に応じてフォローする。

怒った人に対しては、守ってあげるだけの覚悟を持つ。

もしかしたら、このような怒り方はむしろ必要かもしれない。

責めてはいけない!

次に絶対にしてはいけないことが、「相手を責める」ことである。

しかもこの「責める」と「叱る」の境目が、非常に曖昧になることも問題になる。

自分は相手を叱っている、もしくは諭していると考えていても、相手から見れば「責められている」と感じることがある。

その責めるという行動で一番使われるのは、「なぜ?」もしくは「どうして?」になる。

この言葉が使われると際限がなくなる。

例えば、テストで低い点数を取った子供がいたとする。

(母)「なぜテストの点数が低かったの?」

(子)「勉強しなかったから」

(母)「なぜ勉強しなかったの?」

(子)「遊びたかったから」

(母)「なぜ勉強をせずに遊んでいたの?」

(子)「遊びの方が楽しいから」

(母)「楽しいことばかりで良いと思っているの?」

(子)「思っていない」

(母)「なぜ思っていないことをしたの?」

(子)「...」

このように一見やさしく見えるが、結論の出ない話を永遠と繰り返される時がある。

これってかなりキツイ。

そしのこの結論は、いつもこれになってしまう。

(子)「ごめんなさい」

親の強い立場を利用して、子供に謝らせることが目的になっている。

しかしポイントがズレている。

「テストで低い点数を取るのは謝ることなのか?」

個人的にはテストの点数で謝る必要はまったくない。

何のために親に謝らないといけないのだろうか?

親のプライドを傷つけたことに対してだろうか?

まったく分からない...

まとめ

先程、親子での責める行動を書いたが、会社でも似たようことは多い。

「なぜ?」「どうして?」の質問に答えることは難しい。

なぜなら自分に非があるのは分かっているので、何を言っても言い訳になるからだ。

もしそこで言い訳ではなく謝罪をすれば、次のように言われてしまう。

「謝れば許されるとでも思っているのか!」

「分かっていたのに、あなたはこんな行動をしたのか!」

これは能力の差ではなく、立場の差になる。

力を使っての「イビリ」にしか見えない。

それでいて「自分は相手を教育している」、と本気で考えている。

その結果、相手が伸びることはほどんどない。

訪れるのはノイローゼになるか、もしくはもっと酷い結果である。

これに比べれば、瞬間湯沸かし器的に怒る人の方がマシである。

人は怒られても、怒られたことしか覚えていない。

しかし責められると、自分を否定してしまう。

「責めることは言葉の暴力である」

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。