「君は、きっとただ一人、私に真実と日常を与えてくれる人なんじゃないかな」が名言なので紹介する

住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」の名言を紹介する。

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)
住野 よる
双葉社 (2017-04-27)
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少し長いが全文は次になる。

「[仲良し]くんにしか話さないよ。
君は、きっとただ一人、私に真実と日常を与えてくれる人なんじゃないかな。
お医者さんは、真実だけしか与えてくれない。
家族は、私の発言一つ一つに過剰反応して、日常を取り繕うのに必死になってる。
友達もきっと、知ったらそうなると思う。
君だけは真実を知りながら、私と日常をやってくれるから、私は君と遊ぶのが楽しいよ」

病気のことを知っているクラスメイトに対して、桜良の話した言葉だ。

この時の状況など、いろいろ考えていく。

状況の説明

余命一年の少女とクラスメイトの短くも切ない物語。

余命一年の山内桜良は、病気のことを唯一知っているクラスメイトと出かけていた。

自分が病気のことは誰にも話していない桜良。

唯一のクラスメイトも病院での偶然に過ぎない。

そのあまりにもサバサバした感じにクラスメイトは、改めて疑問を投げかける。

「ねえ、君はさ。本当に死ぬの?」

真顔に戻り、返事に少し困った後、桜良の一言は、

「死ぬよ」

そして桜良は病気のことを語りだす。

その後に桜良が話したのが今回の名言となる。

感想と考察

何かを知ってしまった時、人はどうしても普通ではいられない。

距離を取ってしまうことがある。

逆に必要以上に近づくことがある。

必要以上に優しくなることもあれば、冷たい態度を取ることもある。

「何でも教えて?」と言うことはあるが、その何でもは自分が許容出来る範囲のこと。

それを超えてしまうと、困惑以外は起こらない。

ましてそれが命にかかわることなら、平常心でいることは不可能に近い。

それが分かっているからこそ、今回の桜良のように人には言えない。

それでも日常を過ごすことが出来る人がいれば、それほど価値のあることはない。

まとめ

今回のように生き死には大げさとしても、日常の風景で似ていることはある。

車椅子に乗っている人がいれば、必要以上に見てしまうことがある。

障害を持っている人も、どうしても気になってしまう。

自分が逆の立場ならあまり見られたくないので、出来るだけ普通にしようと考えるが、そう考えることにより、逆に不自然になってしまう...

また協力しようと考えても、相手の拒絶の可能性を考えてしまうと躊躇する。

しかし改めて思うのだが、この自分の考え方こそが良くないのではないか?

障害者の人も余命宣告を受けた人も、自分と同じ普通の人であることに変わりはない。

何かの依頼を受けたときだけ考えるのが正しいのではないか?

事実、同じ普通と感じている人に対して、何かを考えることはない。

普通に接するとは、「何かをしなければいけない」という思い上がりを無くすだけでいい。

ただこの行動は人が見ると、「薄情」に見えるのだろうか...

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

→「なーんにもないよ。ただ、君のことを考えてたの」が名言なので紹介する

→住野よるインデックス

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