「何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない」が名言なので紹介する

住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」の名言を紹介する。

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)
住野 よる
双葉社 (2017-04-27)
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少し長いが全文は次になる。

「でも今、それをやってないじゃん。私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。
そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。
一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。
私は今日、楽しかったよ」

病気のことを知っているクラスメイトに対して、桜良の話した言葉だ。

この時の状況など、いろいろ考えていく。

状況の説明

余命一年の少女とクラスメイトの短くも切ない物語。

余命一年と言われている高校生の山内桜良は、今日も普通に学校で図書室の片づけをしていた。

それを見ていた病気のことを知っている、唯一のクラスメイトが聞いてくる。

「残り少ない命を、図書室の片づけなんかに使っていいの?」

その時に桜良が返したのが今回の名言となる。

感想と考察

この時にクラスメイトは、特別なことをしないことを不思議に思っている。

しかしここでポイントになるのは、「死んだ後はどうなるのか?」になる。

もし死んだ後も記憶が残るなら、特別なことには意味がある。

しかし「無になる」、もしくは記憶が無くなるとすればどうだろうか?

そう考えると、生きている間の短い思い出に過ぎない。

もしくは自己満足に過ぎない。

もちろん私には余命一年の感覚は理解できない。

しかし自己満足は求めないような気がする。

旅行に行ったり、また人に出会うことは、生きている間に意味を感じるものであり、死んだ後のためにするものとは思えない。

そこから考えると、今いる日常にこそ価値があるのかもしれない。

まとめ

やはりこの言葉で注目したいのは、誰も明日のことなど分からないこと。

交通事故に合う人は多数いるが、それを予期している人はいない。

病気の人はいるが、自分が死ぬと考えていながら生きてはいない。

余命宣告を受けている人でも、何かの奇跡を信じているだろう。

それを受け入れたくないからこそ、特別なことをしたくないという気持ちが起こるかもしれない。

また、「特別なことをしなければいけない」というプレッシャーも感じたくない。

「普通のことを普通に楽しむ」

この穏やかな気持こそが大切なのかもしれない...

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

→「毎日、生きてるって思って生きるようになった」が名言なので紹介する

→住野よるインデックス

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