井の中の蛙は幸せな件について考える

「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がある。

これは自分が知っている世界を全てと思い込み、世界の広さを理解していない人に対してよく使われる言葉だ。

明らかにマイナスのイメージとして言われている。

しかし本人にとってはどうなのだろうか?

今回はその点について考えていく。

井の中とは

井の中とは小さいというイメージがある。

しかし本当に小さいのか?

学校のクラスは井の中である。

学校や会社も井の中に過ぎない。

県や国も井の中と言えなくない。

そう考えると人類すら生物を対象にすると井の中になる。

更に地球すら宇宙の中で考えると井の中になる。

少し極端になってしまったが、井の中とは所詮、個人の感覚に過ぎない。

周りからの評価について

初めにも書いたが、井の中の蛙という表現はマイナスの言葉になる。

しかし本当に、井の中の蛙とはマイナスなのだろうか?

落ち着いて考えてみると、井の中と言えど上位もしくはトップにいる人である。

先程の井の中で書いたように、「クラスで一番」はマイナスなのだろうか?

確かに、大きな目で見ると大したことはない。

しかしこれって、結構大したことですよね。

クラスで一番は、なかなかなれるものではない。

まして学校や会社で一番など、なれないのが普通である。

そうなると、この言葉は話している側に問題があるように感じる。

実力の無い人が使う場合は、周りや世界という言葉を利用して、自分を偉そうに見せているに過ぎない。

実力のある人が使う場合は、相手より上の立場でありながら、導いてあげるという優しさを
伴わない人に過ぎない。

このように考えると、この言葉は自分の自重のためだけに使うべきであり、相手に対しては
使わない方が良い。

本人にとっての井の中の蛙とは

ここで今回の主題である、本人の幸せについて考えてみる。

本人にとっては、間違いなく居心地のいい場所になる。

そして外の世界を知らないということは、知る必要もないということになる。

簡単に言えば、努力しなくても快適な場所。

これって、間違いなく幸せですよね。

他の人から「井の中の蛙」と言われても、次のように言い返すことができる。

「それがどうした!!」

このように言われてしまうと、理論的な反論はほとんど行うことが出来ない。

出来るのは感情的な反論になる。

またそれで解決できない場合は、力ずくとなる。

これって完全に、言っている方が負けている。

ここから考えると、井の中の蛙である本人は幸せ以外の何物でもない。

まとめ

先程の結論として、「井の中の蛙である本人は幸せ」と書いたが、これはあくまで井の中の
蛙で満足する人の話になる。

自分にとっての幸せは、大きな世界に出て知らない知識や数々のチャレンジをすることと
考えている人にとっては、幸せでもなんでもない。

その人にとっては、単なる閉塞感しか生まれない。

そこで最終結論だが、結局は次のようになる。

「人にはそれぞれの幸せが有り、それは他人には分からない」

知識を得ることを幸せと感じる人がいれば、単に面倒くさいと感じる人もいる。

外に出たいと考える人がいれば、動きたくないと考える人もいる。

競争を好む人がいれば、競争を好まない人がいる。

どちらが正解でもなく、そして間違いでもない。

「ただ、違うだけ!」

明確な「悪」は別だが、「違う」に過ぎない行動の全てを許容できるようになりたい。

「知らないということは、時として幸せなものである」

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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