「話半分」とは適当に聞くという意味とは違う点を考える

「話半分」という言葉がある。

辞書などで調べてみると、「話の半分程度はうそや誇張のため、半分ぐらい割り引いて聞いておくのがちょうどよい」と言う意味になる。

しかしこれでは、人の話の何を信じたら良いか分からない。
もしくは根本的に、人を信じることが出来ない。
そこから考えると、「話半分」とは悪い意味になる。

しかし本当にそうだろうか?

こんな考えに至ったのは、現在読んでいる宮城谷昌光さんの「呉漢」という小説に、この言葉の考え方の一つが載っていたからだ。
少し長いが本に載っている箇所を抜粋する。(本ではひらがな部を一部漢字に変えている)

「人の話のなかの妄(うそ)と信(まこと)をいちいち鑑別することはとうてい無理である。また、そのときは妄だと思われたたことが、時間が経ってから、信に変わることもあろう。それゆえ、人の話を半分に割ることは理に適わない。
つまり話半分ということは、聞いたという事実を一とすれば、その半分に縮小しておくということではないのか。そうすれば半分が空く。
たとえば今、祇登(ぎとう)に限ってそんなことをするはずがない。と思ったのであれば、その思いを、空いた半分に入れておく。
話半分、とは、そういう聞き方をいうのではないか」

これが主人公の呉漢が考えた、話半分になる。この部分の前後関係を少し書いていく。

貧乏である呉漢の元に、いつもの二倍の報酬を約束してくれる仕事が来た。それは少し離れた場所の開墾作業だった。

そこでの作業を続ける呉漢の元に、自宅の近くで戦争が発生している連絡が入る。急いで戻りたかったので、賃金も受け取らずに帰宅の途についた。

しかし噂によると、呉漢の賃金は払われていたらしいとのこと。それは呉漢が信頼する祇登に預けられたが、呉漢には渡していないという噂だった。しかし信頼する祇登が、そんなことをするはずがないと考える呉漢。

その時に考えたのが、今回の「話半分」になる。その結果、やはり噂と事実は異なっていた。もし噂をそのまま信じていたら、今後自分を導いてくれる人を失うところであった。

まとめ

ここでは話半分について、意味が間違っていると言っているわけではない。話半分という言葉を、良い意味で捉えられないかと考えている。

本来の意味だと言っていることに対して、正解か間違いかの二択で考えている。しかし今回の考え方では、グレーゾーンを認めている。

個人的な解釈をすれば天気予報的な考え方になる。話半分はと、正解率50%になる。ものによっては70%でも良いし、30%でも良いのかもしれない。簡単に言えば、どちらに転んでも対処出来るようにしておく。

そうでないと0%を信じたら、雨が降った時に濡れてしまう。
逆に100%を信じたら、雨が降らない時には邪魔になる。

どっちも精神衛生上、好ましいとは言えない。

それに対して可能性を考えておくと、どちらに転んでも精神的な被害は少ない。これって大切なことになる。

何も話だけに限らない。あらゆるものに対して、同じことが言える。これが余裕を生み、そして周りに対しても余裕を与える。

このように柔らかい感覚を持っていたい。

呉漢 - 上下巻セット (単行本)

売り上げランキング: 345,314

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。