学校の文化祭なんかいらない!

「学校の文化祭なんかいらない!」

学生時代そのように考えていたし、今考えてもいらない。

もちろん楽しみにしている人もいるだろう。

しかし逆に苦痛でたまらない人もいる。

その点から考えていく。

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なぜ文化祭は全員参加なのか?

文化祭において一番不思議なことがある。

「なぜ全員参加なのか?」

「学校行事だから全員参加は当たり前では?」

このように考える人もいるかもしれない。

しかし、したくない人に強制するのに意味はあるのだろうか?

「全員のチームワークを高めるために必要では?」

このように考える人がいるかもしれない。

「しかしなぜチームワークを高めないといけないのか?」

「本当に全員参加している?」

私はこのように考えている。

日本ではチームワークの大切さが重要視されている。

しかしそれって必ず必要とは思えない。

たしかに会社員になればチームワークも必要になる。

しかし会社員だけが全てではない。

個人的なことを重視している人もいる。

そのように考えると一方的な感じである。

また運動部に所属している人も参加しているだろうか?

その人達は優遇されていたり、またサボっている人もいるのでは?

その結果、不特定多数の人に作業が集中し、不満が発生していないだろうか?

そのように考えていくと、全員参加自体に意味は見つからない。

理想的な文化祭とは?

まず理想的な文化祭のイメージを書いておく。

「自由参加とし、やりたい人だけが出し物をする」

やりたい人なら不公平は発生しない。

まして文化部などは、この場所がメインと言っても間違いではない。

それでは出し物が少なくなりすぎるだろうか?

もし出し物が少ないとしたら、そもそも誰もしたく無いということ。

文化祭自体の意義を考え直す機会になる。

またクラス単位で一つという考え方も気に入らない。

人によっては「劇」をしたいかもしれない。

運動場で「やきそば」の販売をしたい人がいるかもしれない。

教室で「喫茶店」をしたい人がいるかもしれない。

それなのに多数決で一つにするのは、むしろやる気を削ぐことにならないか?

また隣のクラスの仲良し同士で、何かしたいことがあるかもしれない。

何もクラス単位で考える理由はない。

何かをするにしても、自由な単位で行うことこそが文化的と言えるだろう。

まとめ

個人的に文化祭に興味がなかったのが、本音なのは事実である。

もちろん、「思い出のために必要」と考える人もいるだろう。

そのため、文化祭という行事は続けてもいい。

しかし、「クラス単位」で「全員参加」というスタイルは好ましくない。

一体化しているクラスは、問題なく進めていくだろう。

しかし一体化していないクラスにとって、問題の温床になる可能性もある。

また先生たちの負担が懸念される時代であり、行事は減らして行くのが良い。

運動会なども無くすことを提案しているが、それは別で書いているので省略する。

→「学校の運動会や体育祭なんかいらない!」

文化祭を楽しみにしている人がいるのと同じ様に、嫌で仕方がない人がいることに理解が進むことを期待する。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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