学校の運動会や体育祭なんかいらない!

「学校の運動会や体育祭なんかいらない!」

学生時代、ずっとそのように考えてきた。

理由は一つである。

「運動が苦手だから嫌い」

他の人がどのように考えているか調査したことはない。

また何十年前と今とでは違うかもしれない。

その点も含めて、いろいろと考えてみる。

運動会と体育祭の違いは?

なにげに運動会について書こうとしたら、運動会と体育祭の表現の違いが分からなかった。

調べてみると、幼稚園や小学校では運動会。

中学校や高校では体育祭と呼ぶことが多いらしい。

ここではややこしいので、「運動会」で統一する。

運動会の目的は?

まず運動会が一般的に始まったのは1800年代の後半、明治時代からになる。

近代化に伴い、学校はもちろん地域の一体化を進めていくために行う。

また「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」なども含まれていた。

ここから考えると、初めの行進による統一や組体操などによる連携の行動は、最終的には
「軍事」とつながっていたのは明白となる。

なぜ運動会は続いているのか?

次に「なぜ運動会は続いているのか?」について考えてみる。

これについても明確なことは分からない。

おそらく誰に聞いても分からないだろう。

その結果、次のように考える。

「止める理由が見つからない...」

何かを始めるのも難しいが、続いているものを止めるのも難しい。

また運動会は「プラス」のイメージが大きいため、そのプラスを止めるのは「マイナス」の
行為として受け止めれられる。

先生の立場で考えれば、「面倒くさい」

生徒の立場で考えれば、「したくない」

正直どちらも説得力がある訳ではない。

その後ろ向きな発言では、止めることは困難だろう。

運動会のメリット

運動会というと明るいイメージがある。

楽しく走り回る子供たち。

組体操などで頑張る子供たち。

親が弁当を持って子供を見守る風景。

どれもそれだけを見れば、続けるべき行事である。

見える景色からは、まったく止める理由は見つからない。

運動会のデメリット

デメリットはメリットの反対になる。

走るのが苦手で、恥をさらし笑われる子供がいる。

組体操などが上手く出来ず、周りから非難される子供がいる。

弁当どころか親が来れない子供がいる。

また中には親が亡くなっている子供もいるだろう。

先程の見える景色と異なり、見えない景色の中にマイナスが渦巻いている。

「運動会なんかがあるために...」と考えている人も少なからずいる。

運動会はどのようにすればいいのか?

これまでのデメリットから、完全に運動会を無くすほうがいいのか?

しかし完全に無くすのは抵抗がある。

もちろん運動が得意で、運動会を心待ちにしている子供がいる。

勝つために努力している子供もいるだろう。

そのプラスの気持ちを無にするのは、少し違うと感じる。

そのため、次の方針にすればいい。

「全員参加はいらない、自由参加とする」

もしくは「クラス内の選抜」がよい。

走るのは、走るのが得意な子供がすればいい。

組体操などが得意な子供は、そのメンバーが集まってすればいい。

苦手な子供は、応援や見守るだけで充分だ。

流石に帰るのは、好ましくないだろう。

また親も基本的に不要である。

もしくは出場している子供の親だけが、来るだけで充分。

親にもいろいろなタイプがいるので、そこにもプレッシャーをかける必要はない。

まとめ

改めて書くが、運動会は誰もが楽しみにしている訳ではない。

運動会が気になって、何日も前から不安な子供もいる。

親も行けないことを、申し訳なく思っている人もいる。

走るのが苦手な子供にとっての運動会とは、オンチが舞台に上がって歌を歌っているのと同じである。

簡単に言えば、恥ずかしい行為である。

完全に遅れている子供に対して拍手をする行為など、周りは善意かもしれないが、本人に
とっては「さらしもの」である。

100%の確率で、うれしいなどとは思わない。

また行事は先生の時間を奪ってしまう。

事故などのトラブルも考慮しなければいけない。

最悪、子供たちの間の争いごとの種になる。

誰の得にもならない「全員参加の運動会」など、そうそうに止めるべきである。

また同様なものとして「文化祭」についても別に書いているので、興味がありましたら。

→「学校の文化祭なんかいらない!」へ

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。