家庭や学校における体罰の本質的な問題を考えてみる

家庭や学校において、現在でも体罰は存在する。

時代的には否定的だが、個人にレベルにおいて「体罰は必要」と考えている人も多い。
年齢が上がるほど、多くなるだろうか?

言葉だけではダメなこともあるかもしれない。
甘やかすだけではダメなのもあるかもしれない。

それでも体罰には否定的な立場を取りたい。今回はその点について考えていく。

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体罰の問題点

最初に書いておくが、ある条件の場合、体罰は必要と考えている。
それは、「誰かを傷つけた」時だ。直接的な暴力はもちろん、言葉の暴力でも同じである。
人を傷つけた場合は、子供時代は特に直接的な罰を、受けなければいけないと考えている。

理由は簡単です。痛みを知らないといけないからです。
逆に言えば、それ以外で体罰は絶対に許されない。

では体罰の問題とは何だろうか?

体罰の問題は暴力を振るうことではない。それは状況に過ぎない。
また世間的に直接的な暴力は否定的でも、言葉の暴力については考慮しないことが多い。
しかし教師や親の言葉の暴力は、直接的な暴力に匹敵する。

そのため体罰とは、言葉の暴力も含むのです。

改めて体罰の本質的な問題は何だろうか?

それは、「子供たちを抑えつけること」と考えている。
別の言い方をすれば、「管理してること」になる。

体罰を受けた子供は、自由な行動と発想をすることが出来ません。
常に人のことを考えてしまうからです。

もちろん、良い意味で考えるなら問題はない。ただ問題なのは、卑屈な考え方になること。
自分たちの都合が良いように、しつけること。それは決して、子供たちのためではない。

体罰を行っている人は「子供たちのため」と言うかもしれないが、間違いなく「自分のため」である。これは断言してもよい。

また体罰を行っている親や教師は、「暴力という一番楽な方法を採用している」という自覚を持たなければ行けない。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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