「褒めて伸ばす」は間違い。認めることで伸ばそう!

「褒めて伸ばす」という言葉がある。この言葉に異論を唱える人は少ないだろう。
しかしこの言葉を勘違いしている人が多く、また間違ってもいる。
今回はその点について考えていく。
(ここから書いていくのは自分で感じたことや、周りを見て感じていることになる)

まず「褒める」という意味を調べてみる。
人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。たたえる。(goo辞書)
高く評価していると、口に出して言う。たたえる。(weblio辞書)

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「褒めて伸ばす」の間違いについて

人は怒られたり叱られたりするより、褒められる方が嬉しいのは間違いない。
また褒められると、更に褒められるために努力する傾向にある。この点について反論する人は少ないだろう。

しかしこの点にこそ問題があると考えている。
問題となるキーワードは「誰のために努力する?」

「褒められるために努力する」とは「褒められなければ努力しない」と言うことになる。
まして怒られたら、さらに努力しなくなる。これって本人のためだろうか?

これって金銭的な褒美と同じ、「褒める」という褒美でコントロールしているだけでは?
この結果で生まれるのは、人に制御されるだけの存在になってしまう。

また褒められ続けると、怒られたり叱られたりすることが不当な行為に感じる。
自分のために怒ってくれる人でも、敵とみなしてしまうだろう。

これでは「人として伸びた」とは、とても言えない。

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認めて伸ばす

先程までで褒めることを悪く書いてきたが、もちろん褒めること自体は悪くない。
ただ褒める時には、褒める人の心理的な状態が大切になる。

その心理状態とは「認めること」になる。

どうしても親・先生・上司が褒めるのは「上からの立場」で行うことが多い。しかしこれでは先程までに書いてきたように、コントロールの手段に過ぎない。

それに対して認めるとは「横からの立場」になる。親・先生・上司も褒める時には、同じ立場で褒めなければ行けない。決して「評価する」などと、偉そうに考えてはいけない。

褒められている立場の人は、褒めた人を尊敬しない。ただ楽なので好意を持つだけである。
認められてる立場の人は、認めている人を尊敬する。もし怒られても、「この人の言葉なら」と好意的に受けることが出来る。

褒められても人は自信を持たない。怒る人に対しては、すぐに心が折れてしまう。
認められることで人は自信を持つ。それは認めない人にも、対抗する力を持つ。

人として好ましいのがどちらかは、言うまで無いだろう。

「認めて伸ばす」という思想が広まることを期待する。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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