努力は必要だけど大切じゃない

「努力は大切か?」と聞かれたら「はい」と答えます。
しかし「努力は一番大切か?」と聞かれたら「いいえ」と答えます。

そもそも努力とは何でしょうか。辞書で調べてみます。
「ある目的のために力を尽くして励むこと」(goo辞書より)
「心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること」(weblio辞書より)

なかなか立派なことが書いてあり、日本人が好みそうな感じでもあります。

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努力の方向性

次の二択があった場合、どちらを評価するでしょうか?

「努力をしたが、結果は失敗した」
「努力をしなかったが、結果は成功した」

個人的には結果を優先するため後者を評価しますが、世間は前者を評価しがちです。
理由として、後者は偶然であり、前者は未来につながるから的な感じです。

このため実行者には次の感情が生まれてしまいます。
「失敗した時の言い訳のために、努力している姿を見せておこう」

本来、努力とは目的を達成するために行います。
しかし会社などが特にそうですが、努力している姿を見せること自体が目的化しています。

言い換えれば、目的を達成したり、また結果を出すことが後回しにされている。

そして一番問題にしたいのは「勉強する」という努力です。ここに問題があります。

学校のテストで良い点を取るために勉強し、高校・大学と進学することに非難する要素は見つかりません。
そして良い大学に進んだ結果、一流と呼ばれる企業に入ることも非難する要素はありません。

しかし多くの人の勉強という努力が、そこで終わっていないでしょうか?
努力の方向性が、「一流企業に入社する」で終わっていないでしょうか?

この点を問題にしています。

この流れで成功している人は、会社に入った後を考えて努力しています。
勉強や就職は手段に過ぎず、その他で上手くいくための努力をしています。その努力は、他人から見たら努力とは見えない場合が多い。遊んでいる風にすら見える。

この流れで失敗している人は、会社に入った後のことを考えて努力していない。
勉強や就職が目的になっており、その他で上手くいくための努力をしなかった。人に褒められるような努力ばかりに気を使った結果になる。

本来「努力」とは当たり前のことであり、人に見せる必要もありません。
また目的に合わせた努力をしないと、「努力のための努力」になってしまいます。

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努力を大切と考えてしまうから、それが実らなかった時に挫折感を味わうのです。

努力自体は大切ではありません。
目的を達成するために、結果として努力が必要なだけです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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