いじめた側に対する罰を考えてみる

学校のいじめが無くならない。

多くの人が無くす努力をしているが、明確な解決案は見つからない。

「しかし何とかしないといけない!」

今回考えるキッカケになったのは、2017年11月に埼玉県鶴ヶ島市で起きた小学校6年生の
女の子が自殺した件について、2018年3月27日にいじめと認定されたからだ。

元ネタはこちら

→「小6自殺、いじめと認定=第三者委が答申―埼玉・鶴ケ島市」へ

これからいろいろ考えていく。

いじめ自体を無くせるか?

まず現在の状況に置いて、学校でのいじめは無くせるだろうか?

個人的な考えでは、根本的に無くすことは不可能だと考えている。

そのため大切なのは、いじめがエスカレートする前に止めること。

もしくは分かりやすい逃げ道を作ってあげること。

しかし残念ながら現在の状況や法律では、いじめを止めることは限りなく難しい。

いじめた側に対する罰について

現在の社会状況や法律は、いじめた側に優しくなっている。

「いじめられる側にも問題がある」などは、いじめる側の理論である。

また「将来のために名前は公表しない」なども、いじめた側にメリットがある。

それに対していじめられている側のプライバシーなど、合ったものではない...

またいじめた側に対する罰も、せいぜい言葉による指導止まりである。

また厳しくして刑務所に入れても名前が公表されない以上、はっきり言って抑止力にはならない。

また体罰なども抑止力にはならない。

一回殴られて終わるとしたら、こんなに楽なことはない。

そこから考えて罰と言うのは、「されたら嫌なこと」でなければいけない。

「されたら嫌なこととは何だろうか?」

それは間違いなく、自分の将来に影響があることになる。

そのもっともデメリットとなることが公表である。

極端に言えば、ネットのサイトで「いじめた人」を作り、顔写真など全てのプロフィールを
公開する。

しかもそれは、よほどのことが無い限り消すことは出来ない。

はっきり言って弱い者を大勢でいじめるようなやつらに、権利を求める資格はない。

まして将来を保証してやる必要もない。

もちろんここまでするのは批判も多いだろうから、無理なのは分かっている。

しかし繰り返しになるが、少なくとも「恥ずかしい」と思うような罰は必要である。

まとめ

これほど「いじめ」のニュースが流れているのに、いじめ自体は減っていないだろう。

やはりそれは、ニュースと自分たちがリンクしていないためだと考える。

またいじめた側は、自分たちのプライバシーが守られることを知っている。

今のいじめに詳しいわけではないが、今のいじめは「頭のいい子」がしているイメージだ。

昔のように腕力によるいじめとは違うように感じる。

そのため言葉は悪いが、「要領の良いいじめ」になっている。

それは外見に現れないので、見つけるのが困難である。

また多くの人が「相談すればいいのに?」と考えるが、仕返しが怖いものである。

これに勇気を求めるのは大人の理論であり、子供の理論ではない。

そのため一回の相談で決定的なダメージを、いじめた側に与えないといけない。

二度といじめをしたくなくなるぐらいの、精神的ダメージを与えないといけない。

時代劇などでよく見る「市中引き回し」などは、残酷なようで有効な手段になる。

最後に結論を書く。

「いじめた側には、全てを奪うぐらいの精神的な罰が必要である」

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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