東日本大震災の関連文書が全量保存されていない件について

東日本大震災で被災した3県37市町村の内、16市町村が震災関連文書の全量保存がされて
いないことが判明した。

公文書はある一定の保存期間を過ぎると廃棄されるため、後世に残すべき資料がなくなることが懸念されている。

今回はその件について考えていく。

元ネタはこちら

→「<震災7年>震災関連文書、散逸の恐れ 被災3県沿岸市町村の半数近くが特別措置なし」へ

感想と考察

まず個人的な結論を書いておく。

「文書の全量保存は不要」

このように書くと疑問を持つか、もしくは非難したくなるだろう。

しかしそれには理由がある。

まず多くの人に問いたいことがある。

「文書を残す目的は何ですか?」

個人的には次のように考える。

まず一つ目として、「歴史的被害に対して事実の保存」

規模や被害、その前兆や継続した状況。

このような物理的な事実の情報は、後年の分析のためにも全て保存しなければいけない。

二つ目として、「実際に行われた対策と効果の分析」

災害に伴う対策や問題などは、後年の参考として全て保存しなければいけない。

ここから考えられるのは、文書を残す最大の目的は「未来のため」となる。

そのように考えると、途中経過の会議記録などどうでも良い。

必要なのは結果だけ。

「それでは後年の調査に支障が出るのでは?」

このように反対する人がいるだろう。

しかしこれは根本的に間違っている。

「必要なのは今調査をし、結論を後世に残すこと」

後年に残すべきは対策方法であって、ただ量が多いだけの情報でない。

昔と違い、現在は情報化社会である。

膨大な情報から不要なものを、どれだけ減らすかの方が重要である。

まとめ

ここまで全量保存は不要として書いてきたが、現在はデジタル化出来るため、全量残すべきと考えている人が多いのは事実である。

もちろん、その考え方も否定はしない。

しかしアナログにしろデジタルにしろ、保存というのは非常に難しい。

なによりデジタル化には「どの方法で?」という最大の問題が残る。

現在では、DVD、サーバー(HD)などが一般的だが、それも万能ではない。

対応年数は何年だろうか?

その装置は何年先まで利用できるだろうか?

操作ミスによる廃棄を考慮して、バックアップが必要だろうか?

このように、物理的な問題が発生する。

また何よりデジタル化は、膨大な人員と時間がかかる。

それを各自治体に押し付けるのは難しい。

それなら「国レベルでサポートしろ」となるが、災害は東日本大震災だけではない。

「その全てに適用するのか?」

そうなると小さな自治体などは、予算だけでは対応しきれなくなる。

災害で作業が増えている上に、追加作業を押し付けるのは心苦しい...

原発関連など、特殊中の特殊案件は当然全て残す必要はあるが、ある程度の線引をしないと
際限がなくなってしまう。

またその負担を全てを自治体に負わすのは、個人的には身勝手に感じる。

最後に改めて書きます。

「情報は残すだけでは価値がなく、利用することに価値がある」

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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